赤ちゃんの付き添い入院。親は自身の健康を死守せよ!
ヒトメタニューモウイルス感染はあなどれない。
前回そんなブログを書きました。
あなどったつもりはありませんでしたが、その後結局二男は生後6ヶ月で、入院加療デビューをしてしまいました。
症状が悪化したのは、5日目の朝でした。
前日まで、徐々に症状が改善してきていたのが嘘のように、朝起きたら全ての症状が重症化していました…。
鼻水や咳、嘔吐や下痢、熱発。冗談かと思うほどに、悪化していました。
オッパイが飲めない。
オシッコも出ない。
咳き込みが激しくて、オッパイが飲めていないのに吐いてしまう。
顔色が悪く、ぐったりしている。
朝一番の受診時間にかかりつけ医へ走り、そのまま大きい病院を紹介され、あれよあれよと昼過ぎには病室のベッドの上にいました。
二男は肺炎になっていました。
小さい身体に繋がれた、点滴や心拍、酸素のモニターのルート…
寝転ぶと呼吸がしんどいのか、か細い声で泣いて起きてしまいます。
大部屋の、カーテンで仕切られたベッドの上で座ったまま、ひたすら二男を抱っこしてユラユラと寝かしつけていました。
私はこのときほど、人より少し肩がたくましいパワー系のボディであった事に感謝したことはありません。しかも持久力のあるパワー系です!
例え抱っこだけでも、しんどそうな二男にしてあげられることがあって良かったです。
大部屋は4人部屋で満床でした。
どの子も咳がひどかったです。
ちょうど温暖差が激しい時期だったので、呼吸器系の疾患は増悪しやすいタイミングだそう。
朝も夜も夜中も関係なく、みんなゴホゴホ。
カーテンで見えませんが、苦しんでいる様子が手に取るようにわかり、そして付き添っている親が必死で介抱している様子も伝わってきました。
うちの二男は、病院に入院して赤ちゃんなりにホッとしたのか、相変わらず咳がひどいものの抱っこしていればなんとか少し眠ることが出来ました。
その後は嘔吐下痢の症状が出て個室に移動になったりと、なんやかんやありましたが、点滴や吸入、時々鼻水の吸引に助けられ、少しずつ二男の症状は改善していきました。
結局、1週間程で退院までたどり着く事が出来ました。
気を張り詰めた状態から始まった1週間。
退院の為に病院玄関から出る際、飾られた大きな鏡を見て震えました。
そこには、確かに元気になった二男(何よりも感謝すべき事ですね!)、そして、3歳ほど老け込んだアラサーおたふくが映っていました。
目の下の隈、痛んだ髪の毛、できものを咲かせた血色の悪い肌。ちょっと太った?
見た目のパンチもですが、そういえば体調も優れない。あれ、なんだか頭痛がする。そういえば便秘もひどくなっている…。
アカーン!!!
アカンやつや!!おたふくの年での3歳老け込むのはでかい!!!何よりまだ自宅療養で看病は続くのに、自分が看病される側に回るわけにはいかない!
子供の付き添い入院なのだから、もちろん自分自身が快適な環境で生活なんていうのは難しいものがあります。
子供の横の狭いスペースでの添い寝や、夜間の看病等、寝不足はどうしようもないです。
でもせめて!せめて食生活はもう少し考えればよかったです…。
私は3食、病院内のコンビニを利用していました。
しかも二男が抱っこマンになっていたので、手早く食べられるオニギリがほとんど。
もう少し自身の健康に気を配るべきでした。
たった1週間の入院期間で、この状態です。
可愛い我が子を守る為に、まずは私が元気でいなければと反省した出来事でした。
今回の事を踏まえて、次回は(次回が無ければなおよし)入院準備物に必ず青汁を取り込もうと、固く心に刻んだおたふくです。
どうでもいいですが、ここでスムージーより青汁が出てきてしまう所が、おたふくのおたふくたる所以な気がします。
何はともあれ、付き添い入院の機会なんて無いにこしたことが無いのですが、もし頑張らなければならなくなった時は、どうかご自身のからだもご自愛くださいね。
守るべき者を、守れる体でいられますように。
赤ちゃん、ヒトメタニューモウイルスに感染。感染力や経路は??
つい数日前まで、いつまでこの寒さは続くのだろうと、半纏を着続ける夫を見て思っていました。
やっと、暖かくなってきましたね‼︎
ここから、暑すぎる…と言い出すまではアッと言う間なので、つかの間の春を楽しみたいです。
春、出会いと別れの季節。
春、気持ちの良い気候でスキップなんてしちゃったり。
春、おニューの服を買って、イチゴ狩りなんて行っちゃったり。
春、花粉症に苦しむ夫の横で、窓全開で掃除しちゃったり。
春、ヒトメタニューモに感染しちゃったり。
はい〜、やっと辿り着きました。
ヒトメタニューモですよ。
二男の初めての病気は、このヒトメタニューモウイルスでした。
春先から流行り始めるとのことなので、最先端をいってます。
おたふく顔のくせに!
※何を隠そう、二男は私にソックリなのです。
私、この病気を知りませんでした。なんでも最近付けられた病名らしいですね。
症状は風邪によく似ていますが、赤ちゃんや高齢者の場合は、細気管支炎や肺炎など呼吸器感染症を引き起こし重症化しやすいとされている、あなどれない病気です。
感染力も強く、経路は接触感染や飛沫感染なので、正直、数日前からゴホゴホしていた上の子から貰ったのでは?と思っています。
感染しても、軽い鼻風邪かな?くらいで終わるパターンも多く、大人は気づかずにウイルスを撒き散らしているパターンも多いです。
時期的にも、花粉症と間違えてしまう場合も多いのではないでしょうか?
二男は今の所、初日に9度代の高熱を出し、その後2〜3日微熱。ともに初日から咳や鼻水。
咳に伴う嘔吐。
3日目から下痢。
現在4日目、咳と鼻水、嘔吐と下痢少し。←今ここ。
という流れを進んでいます。
赤ちゃんが苦しそうにしている様子は、見ていてとても辛いものがあります。
そして、夜中咳き込んで起きてしまうので、私も目が33になっています。
伝わるかな。藤子不二雄先生のアレです。
こんなときは、潔く家事はしないことにしています。
母である私自身に余裕があることほど、家族にとって大切なことは無いと思っているからです。
どうでもいいことですが、私の疲れは子守唄に出やすいです。
余裕があるときはベーシックな童謡系なのですが、ちょっと辛くなると小室ファミリー、すごく辛くなると尾崎豊さんや中島みゆきさんが選曲に入ります。
ほとんどミーハーな認知度なので、盗んだバイクで走ったり、銀の龍の背に乗ってみたりしてます。
二男にウィスパーボイスで語りかけるように歌い、1人でうけてケタケタ笑い、息抜きをするのです。
暗がりで。
ブログ開設から何度も言ってますが、私はオタフク顔ですからね。
暗がりのオタフク顔なんて、ホラーでしかないですが、ウィスパーボイスで人生歌を聞かされて育つ二男の将来が楽しみです。まぁ、彼もオタフク顔なんですが。
脱線がヒドイですが、とにかく早く二男が元気になることを願うばかりです。
そして、他の家族にうつらないことを願うばかりです。
潜伏期間が6日ほどあるので、気づいたときにはウイルスを撒き散らした後…という場合も多いです。
ここはやはり、常日頃から、うがい・手洗いという基本を地道に続けて予防していく事で、自分達の身を守るしかないですね。
ところで、うちの夫はうがいと手洗いを、「うがらい」と言うのですが、あれは何なんでしょうね!
二人目出産時のあれこれ。
時の流れが早い!早すぎる‼︎
この前二男が産まれたはずなのに…
とおに新生児を卒業し、今は重たそうなわがままボディをどっこらしょと回転(寝返り)させることが出来るまでになりました。
出産時の備忘録を残したいのですが、既に忘れてしまった事もチラホラあるでしょうね。
自業自得だけど悔しい!
記憶システムがところてんに似てる自分が悔しい!
まだかろうじて押し出されていない内容だけでも残していきます。
二男は、予定日を超過して産まれてきました。
陣痛促進での予定入院がさしせまった日、やっとこさ彼は、産まれる為に重い腰をあげたのです。
その頃私は、寝つきも悪く眠りがとても浅くなっていました。夜中にわけもなく、何度も目が覚めます。
その日も同じように、夜中2時頃目が覚めました。
朝になれば、入院の荷物を手に産院を訪れる予定となっています。
長男の添い寝が暫く出来なくなるな〜と、感慨深く、寝顔を見つめていました。
私も体力温存しなければ!と再び眠りにつこうとしますが、なかなか寝付けません。
しばらくして、気づきました。
あれ?お腹痛くね?これ、陣痛じゃね?
※私は生粋の関西人なので、こんな話方はしません。
前駆陣痛が頻繁にあったので、少々お腹が痛くても気にならなくなっていたのです。
そのため、規則的な陣痛だと気付いたときには時すでに、陣痛間隔は5〜6分、痛みもちょっと脂汗をかくレベルになっていました。
経産婦で1人目も割とスピード出産だった私は、隣で寝息をピーピー鳴らす夫を起こし、戦いのゴングが鳴ったことを伝えました。
すぐに産院へ電話し、計画通り、近くに住む母に上の子を託し、夫と2人病院へ向かいます。
LDRの部屋に到着すると、夫は慣れた手つきでビデオカメラを三脚にセットしました。
上の子のときに、ビデオカメラや携帯、デジカメの撮影で忙しかった夫。そのため今回は、ビデオカメラは固定で放置することにしたのです。
「もうすぐ会えるね〜」 夫に腰をさすられながら、迫り来る痛みを逃していきます。
まだ、痛みの合間に話す余裕があります。 健診のたびに頭が大きいと言われ続けた赤ちゃんは、なかなか降りてきません。
「まだかかりそうやな〜」 「テレビつけて〜」 まだまだ呑気です。
1時間ほど経ったところでしょうか。 ズンっと、何かが私の骨盤を砕きにかかりました。
助産師さんも来てくれて「あー、降りたね。この調子だと、朝には産まれるかな。」
頭の中に、FFⅩのラスボス戦の音楽が流れます。
痛みで、尋常じゃない汗をかいています。
行ったり来たりしていた助産師さんが、気づくと付きっきりでフォローしてくれていました。
腰をさすってくれていた夫は、キリッとした表情でビデオカメラの横に座っています。
1人目のときは松岡修造のような応援を繰り広げてくれた夫でしたが、今回は映画監督のようになっています。
「メガホン持ってたら、監督みたいやな」 夫に伝えたいのですが、痛みで余裕がありませんでした。余裕がなくても、しょうもないことを思い浮かべてしまう性のオタフクです。
助産師さん「よし!イキんでいいよ!」
待ってましたとばかりに、いきみにかかります。
1人目で、いきみ上手の称号を得ていた私は、自信満々にいきみ出します。
が、できません。
なぜか、無意識に体が力をセーブするのです。
助産師さん「もっと頑張らないと、出てこないよ!」
オタフク「……痔が怖いので、ちゃんとお尻の穴を押さえててください!!!」
魂の叫びでした。
私は、無意識にも産後のお尻のお花畑化を恐れていたのでした。
思いの丈を助産師さんにぶつけ、私は解き放たれました。
もう、あとは出すだけだ。 お股が裂けても、どうでもいい。 とにかく、今のこの苦しみを終わらせたい‼︎
渾身の力でいきみます。
ズズズ 。赤ちゃんが、もう出てくるのがわかりました。
助産師さん「もういきまなくていいよ‼︎」
まだ先生は到着していません。
助産師さん「もう、力抜いて!もう大丈夫だから‼︎」
オタフク「そんなこと言ったって、体が勝手に…しょうがない…」
えなりかずきの代名詞のようなセリフが出て来ます。
このとき、もう出ようとしている赤ちゃんを助産師さんに押さえられているような感覚でした。 本当のところはわかりませんが。
やっと先生が、寝癖つけて登場です。
つるん。 二男が出て来ました。
すぐに大きな声で泣いてくれました。
ありがとう。
会いにきてくれて。
頑張ったね。
待ってたよ。
ありがとう。ありがとう。
嬉しくて、幸せで、涙が止まらなくなりました。
1人目のときは、出産を終えた安堵が強く放心状態でした。
今回は、二男をちゃんと迎えることができました。
出血量は多かったようですが、産後の処置はそんなに辛くなく、お尻のお花畑もそこまで悪化していませんでした。
無事に産まれてきた二男。
ありがとうとか、嬉しいとか、可愛いとか、色んな感情を味わったあと、1番最初に思ったことは、「キンタマでかいな‼︎」だったのは、ここだけの話にしておきます。
妊娠中のあれこれ。妊婦と痔はマブダヂ。
何度かここのブログでも、声を大にして伝えてきました。
胸を張り、天を仰ぎ、神々しい光が差すあの丘の上で。
「我、痔の神に選ばれた者なり。」と。
…チーーン。
……めそめそ。
選ばれたくありません。選ばれたくありませんが、選ばれているのでしょうがないのです。
神の思し召し(おぼしめしって、漢字だとこう書くのですね!知らなかった。)なので。
出会いは一人目妊娠中で、出産後は共存の道を選んだ私ですが、今回二人目妊娠に伴いどうなったのか。
タイトルからも答えは明白ですよね。
「相棒、リターンズ」です。
何も変わりません。あいつは何も変わっちゃいない。変わっちまったのは…あたいの方だね…。
初めての出会いのときは、あんなに慌てふためいて病院にまで駆け込んだ私でしたが、今回はもう落ち着いたものです。
あ、出たね。よいしょ。←しまい込む。
これだけです。なんの感慨もありません。
対処も慣れたものです。産院で薬を貰い、血流の悪化に注意します。なるべくあたためたり、同じ姿勢はとらないようにして過ごします。
今の所三人目の予定はありませんが、絶対無いとも言い切れないので、まだ手術には踏み切れずにいます。
いつか、この選ばれし神の呪いが解かれる日がくる事を願って、おたふくは今日もお尻をあたためるのです。
二人目妊娠中のあれこれ。悪阻の違いなど。
こんにちは。
急に冷え込んできましたね!
衣替えも出来ておらず、TシャツにTシャツを重ねるなどの暴挙に出ている、おたふくです。体幹さえ温めておけば大丈夫と信じています。
我が家は夫の方が寒がりで、彼はもう長袖+αの装いになっているのに、隣で私は半袖短パンでウロウロしています。
産後ハイがまだ続いているのでしょうか。フゥー!!!!
今日は備忘録に、第二子誕生までの、私や長男・夫の変化について書きたいと思います。
①妊娠発覚
私自身、妊娠しにくい体質である事が第一子妊活の段階でわかっていたので、二人目を考え始めたときは早めに病院にかかりました。
なので、妊娠がわかったときも「やだ!いつのまに?!サプライズ!!」なんてことはありませんでした。
ただただ、粛々とありがたい気持ちで産院の先生の話を聞いていました。
②悪阻の神様に祝福される
一人目のときの悪阻は、気分不良・嘔吐・食欲不振・唾(ツバ)が止まらない・オナラが止まらない、等がメインでした。
二人目では、起き上がれない倦怠感・食欲不振・嘔吐・ゲップが止まらない、にマイナーチェンジしました。どうも私は〇〇が止まらないシリーズが悪阻に組み込まれるようです。
圧倒的に、二人目の悪阻の方がしんどかったです。あくまでも私の場合なので、皆さん必ずしも二人目で重症化するわけではありませんから、安心してくださいね!
今回は、悪阻ピーク時の一月ほどは、ただのゲロマシーンと化していました。
仕事どころか家の事もままならず、職場や家族には本当に迷惑をかけてしまいました。
③長男の変化
……何かあったかな。
よく、下が産まれる事を感じ取って甘えん坊になるとか聞くのですが…。
うちの子、もともと超絶甘えん坊なので、下が産まれるせいなのかどうかがわかりません。
2歳という微妙なお年頃を迎えていますしね。
「ママのお腹には赤ちゃんがいる」という事はなんとなく理解していたように思います。が、それがどうしたと言わんばかりに、出産直前まで私を馬車馬のようにこき使っていました。
まぁ2歳なんで、空気読めなくて当たり前なんですけどね。
④私の変化
メンタル的な所で言えば、一人目と二人目での妊娠中の大きな違い、それは時間の流れていくスピードでした。
一人目の時は、「妊娠〇ヶ月になった!」とか「あと〇〇日で産まれる(予定)!」とか、一つ一つの出来事を存分に噛みしめていました。出産準備だって、早々に終わらせてスタンバイです。
今回は、一人目を追い回しているうちに時間が過ぎて行った感じです。出産準備もギリギリ、胎教に良い事なんてほとんどしていません…。
そして、ボディ!!
年を重ねたせいなのか、2人目だからなのかわかりませんが、とにもかくにも恥骨と腰が悲鳴を上げ続けました。悲鳴は、産むまでやむことはありませんでした。
今回は痛みで早々に仰向けになれなくなり、横向きで眠る日々でした。痛みで寝返りをうつことも辛くなり、抱き枕には大変お世話になりました。
時々寝返りのうち方に失敗し、恥骨が割れたかのような痛みに襲われました。そんな時、「恥骨が~!恥骨が~!」とムスカのように絶叫する妻を、夫が隣で静かに見つめていました。
⑤夫の変化
お腹が大きくなり体がしんどくなってくると、一人目を積極的に公園に連れて行ってくれるようになりました。外遊びは俺にまかせろ!夫の背中にそう書いてあるようでした。頼もしかったです。
これが、二人目妊娠中のおたふく家のあれこれです。
次回は、出産時の事を書きたいと思います。