愛が重い

一生懸命ブログを書きます

人間関係に疲れたから、もっと私に優しくする

午前中に用事があって外出しないといけない時は、前日からシミュレーションをしてみます。でも結局、交換したオムツを捨てる暇も無い程バタバタと出掛けるはめになる、おたふくです。

 

今日のタイトル、明るいのか暗いのか分からないですよね。

息子が産まれて、交友関係が大きく変わってきました。環境が変わったのだから、これは自然な事だと思います。息子絡みで、初めての場所に出掛ける機会が増えたので、そこで出会う人達は当然「初めまして」の面々です。従来私は社交的ではありません。無難な人間関係を築くことは仕事柄得意ですが、そこから一歩踏み込む事はめったにありませんでした。息子を妊娠したときも、私にはママ友なんて出来ないだろうなと思っていましたし、そんな自分に、少々ガッカリもしておりました。

 

人間関係に疲れるのって、どうしてなんでしょうね。色々な理由があると思いますが、私の場合は、「誰かから嫌われるのは悪い事であり怖い事で、誰とでも仲良くする事が正しい事」という思い込みでした。

思い込みって怖いです。小さい頃に言われますよね。「誰とでも仲良くしましょうね。」私はこの言葉を疑う事無く信じ込んだまま、大人になったのです。子供と大人では、求められているものが違うのにね。とにかく、たぐいまれなるピュアハートで「誰とでも仲良くしなければ」と思い続けていた私です。

もちろん、誰とでも仲良くできませんでした。社会に出て、悪意の固まりのような人間が居るという事を知ったのです。人を傷つける事を何とも思わない、むしろ生き甲斐にしているような人。働き出すまでそのことに気付かなかった私は、どれだけ目出たいのでしょうね!頭にキノコが生えていたのかも!

でも、思い込みはなかなか消し去る事はできませんでした。そして、他人と無難な付き合いしか出来なくなりました。いい人 いい人 どうでもいい人 です。

 

夫は、私とは真逆の人です。他人にどう思われても気にしないです。好き、嫌いもハッキリしている。好きな人達だけを大切にします。それはすごく潔くて、自然だなと思いました。自分自身に対して正直で、自然です。だから夫は、人と関わる事になんの苦もありません。そりゃそうです。好きな人だけが周囲に居るのですから。

 

私、全ての人に好かれようなんて、神様にでもなりたかったのでしょうかね。夫を見習って、大切な人達だけを大切にする事にしました。初めましての人にも、なるべく自然な私を知ってもらうようにしています。そこで違和感を感じるなら、無理して一緒にいません。私が私の為に、気持ちよく過ごせるような環境を作ってみました。

当たり前ですが快適です。

とても当たり前の事ですが、私にとっては重い鎖カタビラを脱いだような清々しい気持ちです。

今は、鎖カタビラを脱いで、好きなママ友とお茶に出掛けたりする日々です。